眼鏡と映画とMr. Gentleman EYEWEAR
茹だるような熱さ、渋滞の看板、鳴り止まないクラクション、車内に入り込んだ羽虫。
苛立ちが限界に達した、いかにも神経質そうな"男"は「家に帰る」と呟き、路上に車を置いたままおもむろに立ち去る…
マイケル・ダグラス主演、ジョエル・シュマッカー監督作の1993年公開の映画「Falling Down」の冒頭シーンである。
この後、車を乗り捨てた"男"(マイケル・ダグラス)はアメリカ社会が抱える、人種や治安、マチズモ等の社会問題に巻き込まれ、時に自ら体現し、さながら地獄巡りの様な体験を視聴者に与えながら目的地(家?) へ向かって猛進していく。
“男”のバイオレントで衝動的なその姿は哀愁と滑稽さを強烈に感じさせる。
この映画を見て、妙に印象に残る小道具がある。
それが主人公の"男"ことD=フェンスが終始着用しているブロウタイプの眼鏡である。
ブロウタイプは元をたどれば軍隊をサヴァイヴする為、眉の薄い将校が威厳を強調する目的で眉に当たるパーツを太くしたことがはじまりとされる。(諸説あり、これもあくまで一説である)
そんなブロウタイプの眼鏡をどこか滑稽で神経質な男が着用しているというのは、何らかの示唆を感じざるを得ない。
そしてもう一点、気になるポイントがある、顔に対しての眼鏡のサイズ感だ。
眼鏡は基本的にレンズのおおよそ中心に、黒目の中心が来ることが丁度いいサイズとされる。
そこから考えるとこの映画のマイケル・ダグラスはレンズの中心より内側に目がきており、眼鏡が顔に対して大きいのである。(1993年当時の流行りのサイズという側面も多少はあるかもしれないが)
大人の服を着せられた子供を想像すると分かりやすいが、身体に合わない大きい服は頼りなさを強調する。
眼鏡もまた然りである。
威厳を出したいがためにデザインされた眼鏡を頼りなくかける。
この映画で描かれているものを考えると意図的なものであろう。
デザイン背景やサイズバランスでその人の印象を良くする事も悪くする事もできる、顔の中心に来る眼鏡は奥深いアイテムだ。
Mr. Gentleman EYEWEARにはこの映画を連想させるアイテムがある。
その名も「DOUGLAS」、想像を裏切らないブロウタイプの眼鏡だ。
しかし、作中でD-フェンスが着用していた物とは異なり顔に乗った時、綺麗なバランスで個性が引き立つサイズにモディファイされている。
現代的に再構築されたデザインは精悍で、そこにD-フェンスの様な"頼りなさ"はない。
威厳やかっこよさを強調したい、本来のブロウタイプの意図を汲んだ秀逸なデザインである。
また、DOUGLASはボストン型の形をとっているが同じ造りでスクエア型の「KEVIN」はよりシャープで落ち着いた印象となりビジネスにもうってつけだ。
特にDOUGLAS、KEVINともに展開しているマットブラック×マットシルバーのカラーは年月を経てツヤが落ちたかのようなアジと、光沢を抑えた落ち着いた雰囲気が同居する魅力的なフレームだ。
DOUGLAS-B
KEVIN-B
道を外さなかった、ifの世界のD-フェンスがかける眼鏡があるとしたらこういうデザインかもしれない(想像が飛躍しすぎかもしれないが…)
映画や音楽のカルチャーをサンプリングしたMr. Gentleman EYEWEARの沼に文字通り「Falling Down」してみると眼鏡を楽しむ新しい視点が開けるかもしれない。
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KEVIN DOUGLAS